ペンネーム:パンプキン
望洋庵の黙想会で、はじめてファシリテーターをしたときのテーマ(福音箇所)が「金持ちの青年 マルコ10・17-30」でした。
この福音箇所をその後も幾度となく思い巡らしていました。
はじめての分かち合いだったから思い出深い、というより、あの日緊張していたのかしどろもどろになり、言いたかったことの半分も言えず、率直に言うと「全然うまくできなかった」という引っかかりがあったから。
後になり、それもひとつの福音を「心に留めて」おくことに繋がっていたのだと気付きました。
金持ちの青年はイエスさまに尋ねます
「永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」
その後のやり取りのあとイエスさまは
「あなたに欠けていることが一つある。行って、持っているものをことごとく売り、貧しい人々に施しなさい。」
イエスさまの言葉を聞いて、悲しみ、沈んだ顔つきで去って行く「青年」。
意気揚々とイエスさまの元を訪れ、これからさらに正しい道を歩もうとしていた金持ちの「青年」に、正しい助言とは言え、あまりに厳しいイエスさまの言葉のようにも思います。
この金持ちの「青年」はその後どうなったのだろう。
たとえ話ではないのだから、この青年は二千年前の地球に確かに生き、イエスさまに出会ったあとも、日々何かの選択をしながらその後の人生を歩み続けたはずです。
でも、青年が感じた「痛み」にはどこか希望を感じます。
頑張ってきた自分だもの、あと何か一工夫すればこのまま「永遠の命(神の国)」 行くことができる、と思っていた彼はイエスさまに出会い、昨日までと同じように生きていればいい、とはもう思えなくなる。
自分の内側にある弱さと、しかし授けられている輝く可能性。
そしてすぐ目の前にいたのに気がついていなかった、貧しさを抱えて生きる人。
イエスさまの声が耳元でリフレインして、完全に無視することはできない。
「心に留める」ことがはじまるのかもしれない。
コメントを残す